5月7日、核兵器廃絶を求めて広島へむかう平和行進が、多摩川を渡り、東京から神奈川へ入りました。私も、東京のみなさんを出迎え、川崎市内を田村智子さんと一緒に歩きました。川崎市役所で、被爆者のみなさん、通し行進者のみなさんと一緒にあいさつしました。志位委員長がアメリカへ行き、米政府に訴えたことについて、多くの方から激励の声をかけていただきました。
10日は、米軍の相模総合補給廠、そして、キャンプ座間へ、11日は雨の中、米軍厚木基地へ、12日は、横浜港にある米軍ノースドックへむけて行進。さらに横浜市役所、県庁へと歩きました。
14日、平和行進は横須賀に入りました。米軍横須賀基地の前で、英文の横断幕をかかげ、松平さんのトランペット演奏とともに、アピール。原子力空母の母港化をやめるよう強く求めました。
私の大おじは長崎の原爆で亡くなりました。「水を飲みたい」と苦しみながら亡くなった話を小さいころから聞き、こんな恐ろしいものは、何としてもなくさなければ、と思うようになりました。被爆65年の今年、被爆者のみなさんの思いにこたえるために、私もさらにがんばります。